ピーテル・クラース《Still life with a glass of beer and smoked herring on a plate》、1636年、パネルに油彩、36×49cm、オランダ、ボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館蔵
お葬式にはビール!の古代エジプト
暑い夏にはとりわけおいしいビール。連日の暑さに思わず手が伸びてしまいます。
ビールには近代的な飲み物というイメージがあるかもしれませんが、実は古代から飲まれていました。古代のエジプトでは、喉をうるおしてくれるとともに利尿作用があり、催眠の効能もあると珍重されていたのです。その上なんと、ビールを薬とする処方やビールを美顔に用いていたとの記述も残されています。実際醸造の様子や宴会で酔っ払って吐いてしまった女性の姿を描いた壁画が見つかっており、生活に根ざしていた様子がうかがえます。
当時のビールのアルコール度・味わいは不明ですが、今も昔も変わらないのはアルコールを摂取した時のうとうととした心地。ビールが持つ「催眠の効能」は、「平穏な休息」という意味に解され、古代エジプトではビールを葬儀の際に飲んでいたといわれています。また、エジプト神話ではビールを発見したのは死者の神であるオシリス神といわれており、ビールはオシリス神のシンボルとされていました。
古代ギリシアでは女神の飲み物だった「ビール」
古代ギリシアではなぜか、ビールはあまり男性が飲むものではないとされており、オリンピックの競技中には豊穣の女神デメテルの祭日に飲む習慣がありました。古代ローマでも、デメテルと同一視されていた、ローマ神話の女神ケレースと深い結びつきがあったビールですが、ローマ本国ではそれほど普及しませんでした。
ビールは、現在一般的になっている食材の「牛肉」(元々ローマでは、牛は供物や農耕や運搬に役立つ家畜して扱われ、食べる習慣はなかったのだとか)や「牛乳」(古代ローマ人にはヤギ、羊、ロバ等のミルクが好まれ。牛乳はあまり人気がなかったそうです)と共に、異民族の食文化としてのイメージがあったからかもしれません。
「神の家」である修道院で生産が続いたビール
ところが、中世になってヨーロッパ中でビールが一大ブームに!
もともと、ワインを生産するための葡萄栽培に不向きな土地ではビールの生産が盛んで、ビール職人も数多く存在していました。例えば北方のゲルマン人が居住する地域がそう。そのため、ゲルマン大移動に伴いビールづくりが、ヨーロッパ全土に広がっていきます。
イタリアやフランスをはじめとする南欧諸国でも、中世の時代に何度かビールのブームが到来しました。しかしその製造は、ワインと同様に各地の修道院が生産を担うことが多く、製法は修道院に伝えられていきました。当時の修道院は今でいうところのシンクタンク。修道士達がそれぞれに持つ学識が結集することで、ビールの品質は上がり、生産工程はより効率の良いものに変わっていきました。
現代の修道院の売店でも、「メイド・イン・修道院」のビールを目にすることも珍しくないのは、こうしたことを背景にしています。
宗教改革の時代にプロテスタントの人々に愛されたビール
中世末期となる1500年代、ビール製造の技術も発展し、品質も生産量も大きく向上。ビールはやがて、各地に流通し経済的にも大きな位置を占めるようになりました。この時期は歴史的にみて宗教改革の時代と重なりますが、気候上の問題もあり、特にプロテスタントの国々でビールはことのほか愛されました。ちなみに宗教改革の引き金をひいたマルティン・ルターは大のビール好きで知られ、中でも奥様の手作りビールが一番と豪語していたのだとか。
現在、ビールの生産で有名なイギリス、ドイツ、デンマーク、オランダ、ベルギー。それらの国々でビールが国民的飲料となるのは17世紀のことでした。
水をビールに変える奇跡を起こした聖女がいた!
イエス・キリストは、水をワインに変えるという奇跡を起こしたことで知られています。
それと同様に、水をビールに変えた聖女がいるのをご存知ですか?
この聖女、ビールが国民的飲み物であった国のひとつ、アイルランドの出身です。その名は、「キルデアのビルギット」。
彼女が生きた5世紀ごろのアイルランドは、衛生状態が良いとはいえず、生水を飲むことは非常に危険でした。そのため、ビールは水代わりに日常的に飲まれていたのです。修道女であったビルギットが看病した病人がビールを欲した時、彼女は水をビールに変えるという奇跡を起こしたのだとか。
ビールが男性の飲み物となった近世、女性の手にはワイン
17世紀に大流行したフランドルの静物画には、当時の大衆の嗜好であった「ビール」「カード」「パイプ」が良く描かれています。古代では女神たちに捧げられたビールは、近世ではすっかり男性の飲み物として定着していました。
フェルメールにも影響を与えたといわれる17世紀オランダの画家ピーテル・デ・ホーホ(Pieter de Hooch, 1629~1684)が描いた《酒を飲む女(Woman Drinking with Soldiers)》。パイプをくゆらしビールを飲む男性たちとともに、文字通り紅一点の女性がグラスを目の高さに掲げています。テーブルの上に置かれている陶磁器の酒器は、当時ビールのためによく使われていました。しかし、女性のグラスに酒を注ぐ男性が持つのは、白鑞(しろめ)の酒器。つまり、ビールを飲む男性たちの中で女性はワインを飲んでいるのです。
強く自立した女性像 ー ゴッホが描いた「ビールを飲む女性」
そんな風潮の中で、ゴッホ(Vincent Willem van Gogh, 1853~1890)は特異な女性像を描きました。作品の名は、《カフェ・タンブランの女》。
この作品に描かれた女性は、タバコを吸いビールを飲んでいます。名前はアゴスティーナ・セガトーリ。オランダからパリにでてきたばかりのゴッホが、かなり親密に付き合っていた女性といわれています。
イタリアのナポリ生まれの彼女、パリでカフェを開業した凄腕の持ち主であり、その姿をゴッホは「タバコを吸いビールを飲む」、因習にとらわれない強い女性として描いたのでした。
急増する女性のビール職人たち
アルコールといえばワインが主流であったイタリアも、昨今はクラフトビールが大流行。とくに、サッカーの試合観戦に欠かせないピッツァにはビールが定番となってきました。小規模ながら、原料や製法にこだわった地ビールを各地で見ることができます。
そうした中で注目したいのは、女性たちの活躍。
アルコールの製造は、今でも男性の数が圧倒的に多いといわれていますが、ビール職人として活躍する女性たちがここ15年ほどで急増しました。オランダやベルギーの大手ビール製造会社には、技術分野の長として敏腕をふるう女性たちが登場しています。
また、2007年には世界中の女性ビール職人たちが「Pink Boots Society」を結成しました。2000人近い世界中の女性ビール職人たちが所属してるほか、ビール醸造の技術に貢献する女性たちに奨学金を授与しています。
男性たちと肩を並べおいしいビールを作る女性たち、古代の女神たちもきっと見守っていることでしょう。