「成田亨 美術/特撮/怪獣」のギャラリートーク
スピーカー
山口洋三
会場
会期
2015年1月6日~2月11日
展示について
成田亨(なりたとおる 1929~2002 青森県出身)という芸術家をご存じですか。ウルトラ怪獣のデザイン画を描いた人、といった方が分かりやすいかもしれません。彼は武蔵野美術大学で絵画、彫刻を学んだ気鋭の彫刻家でした。同校在学中にアルバイトで映画「ゴジラ」(1954年)の制作現場を手伝ったことをきっかけに、彫刻制作の傍ら特撮映画の世界にも身を置くようになり、1966 年から68年にかけて制作・放映された特撮テレビ番組「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」では、主人公の超人、宇宙人、怪獣、そしてメカニックやセット等のデザインを一手に引き受けます。「ガラモン」、「ウルトラマン」、「バルタン星人」などのキャラクターが誕生して半世紀が経過しようとしていますが、それらは世代を超えて今も親しまれています。それは、彼が芸術家として吸収した同時代美術や西洋モダンアートにより培った造形センスを惜しみなく怪獣デザインにつぎ込んだからに他なりません。 しかし、そうした特撮関連の仕事に注力する一方で、成田の絵画や彫刻への情熱はむしろ高まります。多数の油彩画、水彩画を描きながら、彼は古今東西のモンスターへの関心を深め、モンスター関係の作品も数多く制作しました。それは1990年制作の巨大彫刻「鬼モニュメント」(京都府福知山市)に成就しました。 成田亨と言えば、これまで「ウルトラ」の仕事ばかりに注目が行きがちでしたが、本展では、成田亨という1人の芸術家が歩んだ軌跡を多彩な内容でお届けします。青森県立美術館所蔵のウルトラ関係デザイン原画187点をはじめ、「ヒューマン」、「バンキッド」など特撮関連のデザイン原画や未公開の怪獣デザイン原画、手元に遺した絵画、彫刻、そして本展のために再現された特撮セットも加えた総点数700点により、非凡なる才能を秘めていた奇跡の芸術家の知られざる全貌に迫ります。 Tohl Narita (1929 - 2002) studies sculpture at Musashino Art School but his participation in the filming location of the movie, “Godzilla,” embarked him to step into the world of special effects. While he was active as a sculptor, he designed aliens and monsters that appeared in the TV programs - “Ultra Q”, “Ultraman” and “Ultraseven”. He continued to produce various characters and he became an essential person in the field of special effects. At this exhibition, his original works designed for special effects characters as well as unreleased sketches, paintings and sculptures that are not so well-known will be introduced. We will present the unique creations of the artist Tohl Narita in its entirety.
アーティストについて
成田亨(なりた とおる) 1929(昭和4)年9月3日神戸市に生まれる。翌年4月青森県に転居。囲炉裏の炭をつかんで左手を大やけど。小中学校時代を再び兵庫県で過ごし、空襲に遭遇。青森県で終戦を迎える。 県立青森高等学校卒業後、画家・阿部合成、彫刻家・小坂圭二の指導を受ける。 1950(昭和25)年武蔵野美術学校西洋画科(現・武蔵野美術大学)入学。3年次に彫刻科に転科し清水多嘉示に師事。 1954(昭和29)年アルバイトで東宝映画「ゴジラ」の撮影現場の手伝いをしたことをきっかけに、特撮映画の世界に入り、彫刻家として新制作協会展(1955[昭和30]年の第19回展から1971[昭和46]年の第35回展まで)に出品を続けながら、映画の特撮シーンを数多く手がける。 1960年東映で特撮美術監督。 1962( 昭和37)年第26回新制作協会展で《八咫》が新作家賞受賞、協友となる。 1965(昭和40)年、円谷特技プロダクションと契約、「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」「マイティジャック」の怪獣、宇宙人、メカニックのデザインのほか、特技全般を手がける。 1968(昭和43)年円谷プロを離れる。 1970(昭和45)年日本万国博覧会の岡本太郎作《太陽の塔》の内部に《生命の樹》をデザイン。 1972(昭和47)年「モ・ブル」設立、「突撃!ヒューマン!!」のキャラクターデザイン他特技全般を担当。 1975(昭和50)年高倉健主演の映画「新幹線大爆破」(東映)の特撮シーンを担当。 1976(昭和51)年菅原文太主演の映画「トラック野郎」シリーズ(東映)の特撮シーンを担当。 1983(昭和58)年フォーラム六本木アネックスで個展。朝日ソノラマより画集出版。木下恵介監督映画「この子を残して」(松竹)の原爆投下・炸裂シーンの特撮を担当。 1984(昭和59)年映画「麻雀放浪記」(東映、角川)の上野焼け跡シーンの特撮を担当。 1990(平成2)年京都府大江町(現・福知山市)に《鬼モニュメント》を制作。 1991(平成3)年東京・銀座に「ギャラリー宇輪」開設(1992年まで)。 1994(平成6)年北上市立鬼の館のために鬼のレリーフを制作。 1996(平成8)年フィルムアート社より『特撮と怪獣』、翌年同社より『特撮美術』刊行。 1999(平成11)年水戸芸術館現代美術ギャラリーで開催された「日本ゼロ年」に出品。青森県が、ウルトラ関係のデザイン原画189点を購入。2006(平成18)年開館の青森県立美術館の所蔵品となった。 2002(平成14)年2月26日、多発性脳梗塞により死去。享年72歳。
スピーカーについて
山口洋三(やまぐち・ようぞう) 1969年生まれ。福岡市美術館学芸員。「福岡現代美術クロニクル1970-2000」(2013、福岡県立美術館との共同企画)、 「菊畑茂久馬回顧展 戦後/絵画」(2011、長崎県美術館と共同企画=第23回倫雅美術奨励賞受賞)。「大竹伸朗展──路上のニュー宇宙」(2007)を企画。オフィスゴンチャロフ名義で中ハシ克シゲの「震電プロジェクト」(2006-09)を企画。