態度が形になるとき ―安齊重男による日本の70年代美術―

ARTLOGUE 編集部2017/10/17(火) - 14:17 に投稿
《グループ361° 1973年7月 井の頭公園、東京》1973年
国立国際美術館蔵 © ANZAÏ

開催趣旨

1970 年1 月、安齊重男は同世代の作家たちが生み出す一過性の作品を35 ミリカメラで本格的に記録を取り始めた。画廊に木材、鉄板、綿、砂、パラフィン、粘土…等々、様々な材料を持ち込み、それらの材料をある状態に設置して作品化する一過性の表現は、展示が終了すると当然の如く消えて無に帰した。安齊は、交友関係のあった、李禹煥、関根伸夫、吉田克朗、小清水漸、菅木志雄、など後に「もの派」と呼ばれた作家たちの作品ばかりでなく、自らの嗅覚を信じて、そのような消えて無くなっていくタイプの作品を中心に撮影を始めたのである。

安齊が撮影を本格化したのは、1970 年5 月から東京都美術館で開催された「第10 回日本国際美術展」いわゆる「東京ビエンナーレ‘70」の準備に参画し、参加アーティストたちの助手のような役割を担いながら、記録写真を撮り始めた頃からである。コミッショナーを新進美術評論家であった中原佑介が務め、ルチアーノ・ファブロ、ヤニス・クネリス、ソル・ルウィット、リチャード・セラ、ダニエル・ビュラン(ビュレンヌ)等の外国作家に加え、狗巻賢二、榎倉康二、小清水漸、高松次郎、成田克彦、野村仁等の国内作家を合わせ、総勢40 名にも及んだ国際展であった。

東京ビエンナーレを構成するに際し中原が参照したと思われる展覧会に、後に多くの国際展を手掛けたハラルド・ゼーマンの企画によってスイス・ベルンで1969 年に開催された「態度が形になるとき 作品―概念―過程―状況―情報」がある。本展にも用いたその展覧会のタイトルは、後に70 年代の現代美術を体現する鮮烈な用語となった。

安齊はその後、国内の現代美術展を網羅するかのように積極的に撮影を続けて、1974 年にはデンマーク・コペンハーゲンで開催された日本現代美術展を撮影するために渡欧し、海外にまでその視野と作家との関係を広げることになる。翌1975 年には第9回パリ青年ビエンナーレの取材を国際交流基金から依頼された。その後も1978 年にロックフェラー財団の奨学金を得てアメリカの現代美術にまで記録の対象を広げることになる。

本展は、70 年代の日本の現代美術を撮り続けた安齊重男の行為を再検証する試みである。安齊の写真を丁寧に辿ることによって、戦後日本美術の変革期を再確認することになるだろう。さらに、当館のコレクションを中心に安齊が目撃した作家たちの作品を展示し、安齊のその行為を作品の側からも検証するものである。

 

<関連イベント>

■講演会「東京ビエンナーレ’70-神話を超えて」
11 月3 日(金・祝)14:00~
講師:峯村敏明(美術評論家、多摩美術大学名誉教授)
会場:国立国際美術館 地下1 階講堂
※参加無料、先着130 名、当日、10:00 より整理券配布

■講演会「菅木志雄のアクティヴェイションについて」
12 月9 日(土)14:00~
講師:千葉成夫(美術評論家)
会場:国立国際美術館 地下1 階講堂
※参加無料、先着130 名、当日、10:00 より整理券配布

 

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