住所
兵庫県 西宮市 松下町2-28
エリア
財団法人辰馬考古資料館は辰馬悦蔵翁(1892~1980)が
1976年に設立した博物館です。
翁は銘酒白鷹醸造元(北)辰馬家に生れ、三代悦蔵とし
て家業をつぎましたが、若くして考古の学を志し、京
都帝国大学にてながく研鑽をかさね、新進の学徒とし
て日本考古学上の諸問題、とくに銅鐸と玉 類等の研究
にとりくみ、その学の進歩の一端を担いました。
一方翁は世の考古資料の散逸・湮滅し、また海外へ流
出してその学のすたれることを憂い、その保全のため
私財を投じて自ら保護の任にあたりました。 その収集
資料は翁の見識にもとづくものとして学術的価値はき
わめてたかく、その資料による研究は考古学の進展に
大きく寄与してきました。翁のもとには、また祖父悦
叟翁(1835~1920)以来の富岡鉄斎作品が多く継承収蔵
されていました。一部さきの戦火で焼失しましたが、
うちに優作が多く世の人のひとしく愛惜するところで
した。もとこれら作品は、鉄斎先生と悦叟翁との親交
に多くもとづくもので、その畢生の大作といわれる
「阿倍仲麻呂明州望月図・円通 大師呉門隠栖図」の
屏風一双は、先生が1914年5月悦叟翁をたずねて別邸に
遊び、その逗留中に執筆したもので、いま重要文化財
に指定されています。これら考古・美術資料を、なが
く保全維持して後世に伝え、また公開して学術の研究
と一般 の文化財認識とに供することは、翁の深く考慮
するところでありました。このため、翁は晩年これら
資料に基金をそえ、これをもとに財団法人辰馬考古資
料館を設立したのです。
1976年に設立した博物館です。
翁は銘酒白鷹醸造元(北)辰馬家に生れ、三代悦蔵とし
て家業をつぎましたが、若くして考古の学を志し、京
都帝国大学にてながく研鑽をかさね、新進の学徒とし
て日本考古学上の諸問題、とくに銅鐸と玉 類等の研究
にとりくみ、その学の進歩の一端を担いました。
一方翁は世の考古資料の散逸・湮滅し、また海外へ流
出してその学のすたれることを憂い、その保全のため
私財を投じて自ら保護の任にあたりました。 その収集
資料は翁の見識にもとづくものとして学術的価値はき
わめてたかく、その資料による研究は考古学の進展に
大きく寄与してきました。翁のもとには、また祖父悦
叟翁(1835~1920)以来の富岡鉄斎作品が多く継承収蔵
されていました。一部さきの戦火で焼失しましたが、
うちに優作が多く世の人のひとしく愛惜するところで
した。もとこれら作品は、鉄斎先生と悦叟翁との親交
に多くもとづくもので、その畢生の大作といわれる
「阿倍仲麻呂明州望月図・円通 大師呉門隠栖図」の
屏風一双は、先生が1914年5月悦叟翁をたずねて別邸に
遊び、その逗留中に執筆したもので、いま重要文化財
に指定されています。これら考古・美術資料を、なが
く保全維持して後世に伝え、また公開して学術の研究
と一般 の文化財認識とに供することは、翁の深く考慮
するところでありました。このため、翁は晩年これら
資料に基金をそえ、これをもとに財団法人辰馬考古資
料館を設立したのです。
郵便番号
662-0962
アクセス数
0
0
0
緯度
34.73521012
経度
135.32858455